ゆっくり生きる

小学生と保育園児を持つ36歳。乳がんを患いました。闘病の記録です。

はじめまして

 

 

乳がんが見つかったのは5月。

 

3月の健康診断。

今年度の健康診断から自宅近くの総合病院で検診可能となったので、毎年健康診断で通ってた健保の検診センターから総合病院へ変更しました。

 

総合病院での超音波で「うーん・・・怪しいけど何とも言えない・・・」と技師の先生が悩んでいて、しこりの箇所を何度も確認してました。

最後に「乳がんの好発年齢だから結果を待たずに乳腺外来行ったほうがいいよ」と言われましたが、「しこりは良性変異だしな・・・」と結局は結果を待ってから病院へ行きました。

正直、いつもの検診センターだったら例年通りの結果だったかもしれないので、検診を総合病院に変更したことで発見に繋がったのかもしれません。

 

1ヶ月後の4月。

乳房検査の結果は「要検査」

所見内容がたくさん書かれていた上「精密検査を受けてください」とハッキリ記載されてました。

「これはやばい」と、ネットで調べた会社と自宅のどちらからもアクセスのいい乳腺外来で再検査を受けました。

再び病院でマンモと超音波検査を受け、先生からは「これは私でも再検査にしますね・・・」と言われ、しこりの境界領域もボヤついてるので、その日に針生検を受けることなりました。

2〜3日は針生検した箇所の痛みがひどく腕もあげにくかったですが、4日目からは痛みもひいて痒くなる程度まで回復。

痛みも辛かったですが、青あざもひどくて娘が「ママ・・・どこかでぶつけた??」と心配してくれる程でしたが、1週間経ってから色がマシになってきました。

 

5月のGW前に検査結果が出たので再度病院へ。

結果は腫瘍サイズ3センチ、ステージ0〜2の乳がん

非浸潤がんの可能性が高いけど、浸潤がんの可能性も否定できない・・・さらに大きな病院での精密検査が必要とのことでした。

「何もなく良性変異でしたよ」って言われてGWを過ごすつもりだったので頭は真っ白。

その時は非浸潤がんと浸潤がんの違いも分からなかったの何を言われてるのかもさっぱりで「乳がん=死」と勝手に結びつけて「子供2人残して死ねない」と診察室で大泣きしてしまいました。先生と看護師さんもびっくりして「大丈夫!!初期で見つかったし、乳がんは完治率が高いから死なないよ!!」と励ましてくれました。

通った病院の先生が元々大学病院の乳腺外科にいらっしゃった方で大学病院と連携があるとのことでしたので、自宅近くの総合病院ではなく、大学病院に紹介状を書いてもらいました。

緊急性は高くないけど、早い方がいいよねということで、G W明けすぐに受診できるよう計らってもらえました。大学病院で予約は先になるのかなと思いましたが、先生の元勤務先ということで早く受診できて助かりました。

 

ちなみに、もともと今回検査で引っかかった箇所に「しこり」はあったのですが、4〜5年前に自宅近所の乳腺外来で検査した際は問題ありませんでした。

その後2年間、会社の健康診断でマンモと超音波は受けてましたが、「カテゴリー2」の良性変異で6ヶ月後再検査とは出てたものの「良性だしな・・・」と再検査せずに放置してこの結果です。

 

検査結果にひっかかったら、要検査となる前にきちんと受診することが大切だなと痛感しまいた。